助け”合い”の ”愛”

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皆さんこんにちは!😃

私はアメリカに移住する前は横浜在住、東京勤務していました。
東京はどこもそうですが、通勤/帰宅ラッシュ時は人、ひと、ヒト、HITO~!!

渋谷ではスクランブル交差点を毎日渡り、あの人込みの中で誰にもぶつからずに早歩きで渡り抜く技も獲得していました。 ← こんな技は何の役にも立たんですが😆

それでも時にはぶつかります。
でも自分も相手も「すみません」「ごめんなさい」も言わずにそのままなのです😰

それが当時の通常の毎日だったなぁ~。懐かしい~。

当時は仕事も忙しく、配属された部署が何とクレーム対応部門!😫😫😫
毎日クレームだけを受け付け処理していくのです。

当然笑いも無ければありがとうと言われることもなく、お客様からお叱りを受ける毎日でした。

配置された部署は他にもありますが、競争社会、ストレスで他人のことを想う「ゆとり」は一切ありませんでした。もう自分のことで精いっぱい。

アメリカに移住後は、多少時間のゆとりもできたことから、自分の過去を振り返り、
何故あの時はこうだったのか❓
その理由は❓❓
それをポジティブに変えるには❓❓❓
と第三者的視線で考え、自分なりに答えをだしました。

そしてどんな経験であれ、それを経てきた自分を認めてあげました

日本では、特に東京に顕著かと思いますが、隣人との挨拶などの接点さえ少なくなってきていますね。
当時の私もそうでした。ゆとりが無いために挨拶さえも面倒くさかったのです。

一方、心のどこかで何かさみしさのような気持ちも感じていましたね。。

アメリカ移住後に感じたのは、皆さんがとてもフレンドリーで、困ったことが生じるとすぐに助けてくれること。それがとっても気軽(いい意味でですよ!)というか、、当たり前の行動なんですね。
これは恐らくキリスト教の文化背景が大きいのだと思います。

家族はもちろん、友達や、見知らぬ人も困っていたら助けます。

昨日の出来事ですが、Costcoのフードコートで2-3歳くらいの小さな男の子を連れた若いお母さんが支払いに時間がかかっていました。

状況をよく見てみると、お母さんはApple Payなのか、携帯をスキャンして支払いたいようなのですが、機械が何度やっても受け付けないのです。

繰り返しチャレンジしますが、ダメ。。

諦めたお母さんは、お子さんに「また明日来ようね」と言って去ろうとするのですが、
そこで男性がスッと現れました。

そして・・・

「ここは僕がご馳走するから大丈夫だよ。店員さん、いくら?」

と現金で支払ったのです!😲😲

もちろん若いお母さんは申し訳ないと丁寧に遠慮していましたが、男性は笑顔で「大丈夫」と。

最終的にはお母さんは購入した食べ物と小さな男の子と一緒に笑顔で去っていきました🥰

私はあまりにもスムーズに、当たり前のように起こったこの出来事にびっくりして、その男性を暫く追って見ていました。
男性が戻っていった先には2人の小学生くらいのお子さんが、そのフードコートで買った食べ物を食べながら待っていたのでした。

アメリカは私たち日本人から見ると理解が難しいこともあります。
銃による犠牲者が多いのにも関わらず、政治的な背景から銃規制は進まなかったり、
ト〇〇プ大統領の思想やその行動だったり、そのサポーターたちの行動だったり。

でもそういった人たちは一部であり、多くは心の優しい人たちです
しかもこの男性のように、金銭で困っている人をサポートすることが当たり前だったりします。

ハワイでも公共バスで小銭の持ち合わせがなくて支払いに困っている人がいると、乗客から「これ使いな」とスッと現金を出して助けてくれたりします。これが日常茶飯事なんです😊

私は困っているお母さんを見ていたのに、「助けてあげる=お母さんの変わりに支払う」 という意識はもちろんのこと、行動を起こそう、とも思いつきませんでした。

恥ずかしながらまだまだだなぁ。。

アメリカで何か行動をするには、その文化や考え方を理解する必要がまずあると思いますが、
(理解せずに行動して逆に失礼だったり危険な目に合う可能性もあります)
これから自分が得る収入は、この男性のように

困っている人たちをサポートするために活用していきたい、と思いました。

お金はもちろん自分の生活に必須です。
しかし、多少なりとも余裕があるのであれば、その一部を愛に変えていきたいと思います。

こんな経験や考えを得られ、今日も感謝な一日です。

最後までお読み頂きありがとうございます🥰

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